現在は 2024 年 3 月 16 日の夜で、前回のまとめを書いてからちょうど 1 ヶ月が経ちました。月初にまとめを書くという考えは再び空振りに終わり、月中の忙しい合間に思い出されることとなりました。しかし、この思い出は私の生活の中での味わいや気にかけることとして有益であり、今日まで続けています。
時間を 2 月初めに戻すと、G 市での新年を過ごす理由は、叔父の体調が優れず、Y 市で療養しているためでした。そして、余弟は休暇を取りたいと思っており、家族はそれぞれ忙しくしている中、私だけが少し時間があり、宝が G 市にいることを思い出し、喜んで出かけました。その後の話は楽しい休暇生活で、HC 広場でランドマークタワーを見たり、省博物館、図書館、東山口を訪れたりしました…… 宝と過ごす時間はいつも楽しく、短いものでした。面白いことに、図書館で隠れた五角星の謎解き図を見つけ、今日まで五角星を見つけました(やった!)。もう一つ面白いことは、宝と書店の子供エリアで『小王子』を読んでいたら、店員に追い出されたことです。遊ぶだけでなく、もちろん食べることもあり、地元の朝茶はとても美味しく、海鮮もたくさん食べました。年越しの夜には海辺で花火を打ち上げ、その後数日間は様々な観光地を訪れ、海上バナナボートや砂の城を作ったりもしました。2 月 15 日までのんびり過ごし、帰宅し、その後三五人の友人と再会し、旧交を温めました。その中に友人の LLX がいて、酩酊状態で何でも話し、楽しく帰りました。
以上の思い出は写真の助けを借りており、人は簡単に忘れてしまいます。たとえ 1 ヶ月前に起こったことでも、今では断片的な記憶しかなく、その記憶が当時の実際の状況と完全に一致するとは言えません。写真がなければ、これらの記憶はさらにぼやけていたかもしれません。私はいつも特定の瞬間を留めておきたいと思っていますが、過ぎ去る者はこのように、昼夜を問わず去っていくことを知っています。マルケスは『百年の孤独』の中で「人生で経験したすべての輝きは、結局のところ孤独で償わなければならない」と言いました(この言葉が本当に『百年の孤独』からのものであるかは検証が必要です)。だから私は生活を記録し続け、最後には動けなくなるかもしれませんし、誰もいない場所にたどり着くかもしれませんが、その孤独は私にかつての輝きを思い出させてくれるでしょう。
また一つの冬休みが終わり、学校に戻ると、武漢の短い春が 3 月が来たことを思い出させてくれます。早咲きの桜と玉蘭が蕾を持ち、私の卒業設計のスケジュールも無情に迫ってきています。この時期は忙しくなります。1 年の計は春にあり。次回お会いしましょう。